サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
フォト

リンク

無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2011年12月31日 (土)

最近読んだ、読みかけの本 H23.12.31

  • ラルフ・タウンゼント「暗黒大陸中国の真実」芙蓉書房出版、2004年7月
  •  五年近く積ん読状態だった本書を最近読了。およそ八十年前の昭和八年にアメリカで出版された「WAYS THAT ARE DARK: The Truth About China」の翻訳。

     支那はこの頃と大して変ってゐないやうに思へる。支那人がさう変化するとも思へない。ここには当時アメリカ人が支那人に騙され続けてきたことが記されてゐる。支那人は日本人だけでなく西洋人も騙してきた。

     当時支那はアメリカにどう対応してゐたか。その対応は最近日本にも見られたものと同じ。援助しても全く感謝せず自分たちの成果だといふ話。投資した資産の略奪とか。

     アメリカの宣教師は相当数殺害されたらしい。それにも拘らず教会は支那人を擁護したといふ。理解できない。タウンゼントも疑問を呈してゐる。

     援助した人を殺害する話。キリスト教会の援助施設、学校病院などが放火されたらしい。しかもその学校で教育を受けた支那人が犯人だったことも。恩を仇で返す話。孫文、蒋介石の日本に対する行動と同じだ。

     タウンゼントは阿片が支那人の国民性に合ったものと考へてゐる。佐野眞一によく考へてもらいたいものだ。そして阿片戦争の主原因は阿片ではなく支那人の排外主義、外国人蔑視つまり中華思想であったと。

    Wikipedia「ラルフ・タウンゼント」 書評

  • 小堀桂一郎編著「ゆとり教育が国を滅ぼす」小学館文庫、2002年3月
  •  これも積ん読状態であった本。ゆとり教育は最近補正されたらしいがどの程度のものか。今度調べよう。

     私としては、ゆとり教育の補正は当然のこと、仮名遣ひの復舊を求めたいところだ。



 

2011年11月18日 (金)

最近読んだ、読みかけの本 H23.11.18

  • 佐野眞一「阿片王 満州の夜と霧」新潮社、2005年7月
  •  佐野氏の本はページ数が多い。これも443ページのもの。

     昭和十年代に支那で日本軍、現地政府に代って阿片の卸を担った里見甫(さとみはじめ)氏の伝記。


     当時の支那では人口の3%程度?が阿片常用者であった。麻薬の常用は良くないことではあるが急に禁止することは暴動の発生、治安維持の観点から控へたらしい。

     これを決めたのは後藤新平だったとのこと。彼が関東大震災の時に暴動を起こした朝鮮人に対して融和策を取った事が思ひ出される。


     阿片は金になる。支那人も日本人も当座の財源として阿片に頼らざるを得なかったやうだ。


     里見氏は金を私しない性分を軍に気に入られた。つまり阿片取引において公正を期し、私腹を肥やすことがないと見込まれたのだ。

     但流れる金額が大きいので彼の取り分比率が小さかったとしても一般庶民よりは多額の報酬を得てゐたらしい。

     まあそれは仕方のないことだ。不動産取引で儲けてゐる人を思ひ出せばよい。


     阿片取引については上位レベルの話のみであり末端取引については書かれてゐない。

     里見氏とその周囲の人間について、取材したことを記した人間模様が中心の本である。これは「東電OL殺人事件」と同様に考へて良い。


     この本は佐野氏の薄いマルクス主義的な主観があまりなかった。里見氏の人間関係を書くのに紙数が割かれたためであらう。しかし佐野氏の



    • 支那事変は日本が悪い

    • 阿片取引は人道に対する罪である

    • 日本の満洲進出や満洲国は良くない

    といふ考へ、偏見が下敷きになってゐることはここでも窺へた。

2011年11月 9日 (水)

最近読んだ、読みかけの本 H23.11.9

  • 佐野眞一「業界紙諸君」中央公論、S62年3月
  •  佐野氏初期の単行本。十二の業界を取り上げ、その業界紙群の歴史を発行者の過去を含めて書き出してゐる。
     発行者が過去どのやうなことをしてどのやうな成り行きでその新聞を発行するに至ったのか。実に興味深かった。

     インタビューを重視する佐野氏ならではの取材対象者の発言を効果的に引用してゐる。

     業界紙の狭い世界には色々な経歴を持つ人が集まってゐるらしい。佐野氏自身も業界紙を渡り歩いた人だがそのやうな人も多いやうである。

     これは二十五年ほど前の話であるが、紙媒体劣勢のインターネット時代にこれら業界紙がどのやうに生き残るのか興味が沸く。

     本編はマルクス主義臭い記述が殆どなく読みやすい。但政治に関する記述にはそれらしい風味があった。

 

2011年10月10日 (月)

最近読んだ、読みかけの本 H23.10.10

  • 関貴星「楽園の夢破れて」亜紀書房、1997年3月
  •  H23.9.24東京MX TV西部邁ゼミナール「五十年前、こういう偉大な「在日」がいた」で紹介された本。初版は昭和37年に全貌社から発行された。

     関氏は舊名を呉貴星といひ朝鮮人であった。昭和25年頃日本人関氏と養子縁組し日本に帰化した。彼は貧しい家に生れ、学校を出ることができなかった。差別がなく、朝鮮人が生き生きと生活できる世界を北朝鮮に期待してゐた一人であった。彼は朝鮮人帰国事業を善意を持って推進する一人であった。

     彼は帰国事業が始まって暫くして北朝鮮を公式に訪問する機会を得た。しかし彼は帰国した知己や一般帰国者とまともな会話をすることができなかった。しかも彼が尊敬する帰国者が粛正されたと聞く。

     彼は北朝鮮は権力者の独裁下にあることを悟った。帰国事業を推進した者として責任を感じてゐた。帰国希望者に注意を与えようとするが朝鮮総連幹部から妨害される。そこで彼が書いたのがこの本であった。その結果彼は総連から事実上追放されてしまふ。

     当時の朝鮮総連は過激であり、相当実力を伴った報復も予想されたが彼は同朋のために真実を公表することにしたのだった。

     このやうな告発が五十年前に朝鮮人からなされてゐたにも拘らず、日本人は同朋の拉致も満足に追及せず三十年も過してしまった。日本人は関氏を見習へといふのがこの番組の趣旨だった。

  • 日垣隆「松代大本営の真実」講談社現代新書、1994年7月
  •  マルクス主義的記述が多すぎて読めない。中途で諦めた。

    「証拠隠滅」 舊軍の行動は犯罪なのか。軍に敵対的な立場が伺はれる。
    「朝鮮人の強制連行」 朝鮮人の内地への徴用の事だらう。さういふならば当時の日本人の若い男は戦場に強制連行されたことになる。
    徴用された朝鮮人の話、待遇が悪かった、食事が悪かった。昭和19年で物資不足が深刻になり始めた頃だ。朝鮮人だけを過酷に扱ったわけではなく日本全体が貧しくなった時期だ。当時の全体的背景を無視して一部だけ取り上げて酷いと言ふ書き方をしてゐる。
    他にも朝鮮人に同情的な記述が多い。現在の日垣氏なら朝鮮、台湾人は戦地に出さず日本人を先に出してゐたことを知ってゐるだらう。今の彼なら違ふ記述になると思ふが彼の初期の作品は版元が岩波だったりしてマルクス主義に阿った記述が見苦しい。
    「朝鮮人労働者の血と汗と死骸が混入したはずの砕石は…」 死骸が混入したはずなのか。
    まだまだあったが面倒になった。残念ながらこの作品は読むのを中断。この本より佐野眞一の本がずっと読み易い。佐野眞一の本は彼のフレーバーの部分の読み飛ばしが容易だ。

 

2011年9月26日 (月)

最近読んだ、読みかけの本 H23.9.26

  • 曽野綾子「集団自決の真実」2006年5月、ワック
  •  「ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決」文藝春秋、昭和48年、の最近の改版。
    二年ほど積ん読状態であったものをやっと読んだ。

     重い内容だ。死んだ者も生き残った者もその時点では不幸にもそのやうにしかならなかったといふことが分かった。
     軍人、住民を直接取材して報告したのは曽野氏が初めてだった。それまで住民に自決を命令したとされる赤松大尉を批判する文章が大江健三郎を初めとして多数出版された。それら全てが取材不足の伝聞に基づくものだった。

     米軍の攻撃により通信網は途絶え、攻撃を避け移動するため正確な情報は入手できず、住民の思ひ込み、合理的判断が困難な状況となり何となく住民は自決したのが真相だった。
     軍人は住民を守ることが第一任務ではない為、攻撃を受けてゐる間に住民を構ふこともできない。それを見放されたと思ふ住民。
     悲劇としか言ひやうがない。

 

2011年9月19日 (月)

最近読んだ、読みかけの本 H23.9.19

  • 佐野眞一「東電OL殺人事件」新潮社、2000年5月
  •  再審請求で関心が高まったせいか図書館の在庫が相当回転してゐる。

     以前から読みたいと思ってゐた佐野眞一の力作の一つ。450ページ弱の分量。彼独特の他に聞いたことのない比喩とマルクス主義の臭ひがする主観的な記述を読み飛ばすと疲れずに読める。

     ゴビンダ裁判は物証がなく第一審では無罪。しかしその後有罪とされた。有罪となった経緯は知らない。これから調べてみよう。

     殺害された東電OLの母親の家は医者を輩出する家らしい。しかし勉強はできるがちょっとをかしい家系の臭ひがする。

     終りの方に精神科医斎藤学氏との対談が出てくる。東電OLの行動は斎藤氏の所に来る患者の症例と似てゐるとのことだ。

     表紙は事件現場を高いところから望む写真だ。この場所をグーグルのストリートビューで見ることができる。ゴビンダ達の住んでゐた粕谷ビル、喜寿荘地下の居酒屋の入り口、喜寿荘一階の様子もある程度見ることができる。これは面白い。

     H23.9.16のTBSラジオDigはこの事件を取り上げ、ゲストに佐野眞一を呼んだ。佐野が帰った後、番組終盤でレギュラーコメンテーターの大根仁が佐野眞一の本で読むべきは「誰にも知られたくなかった沖縄」と「東電OL殺人事件」の二冊だと言ってゐた。佐野、可愛さうに、たった二冊とは。

 

2011年8月 7日 (日)

最近読んだ、読みかけの本 H23.8.7

  • 高橋敬一「昆虫にとってコンビニとは何か?」朝日新聞、2006年12月
  •  最近新書として書店で見かけたが五年前に出版されたものだった。

     著者は農林省の技官でカメムシ(亀虫)の研究家だ。人間社会に存在する物と昆虫がどのやうな関係にあるかを28題に渡って書いたもの。

     虫の表記をカタカナ一辺倒にするのは止めて貰ひたい。これは生物学者に対しての要望である。漢字で書けば意味が分かるものをカナ表記にしてゐるためにわかりにくくなってゐる。朝鮮人が漢字表記を捨てハングル表記に走り同音異義語や品詞の活用の意識が希薄になり子供の国語力が低下したのと同じことになる。
    抹香鯨、山原クイナ、皇帝ペンギン、晴着霞カメなどなど。特に生活から遠くなった漢語が附いた生物名をカナで表されると何者か想像しにくくなる。

     ナガヒラタチビタマムシ、オオシマクシヒゲムシ、アマミクチキクシヒゲムシ、キボシヒゲブトコメツキ…

 

2011年7月13日 (水)

最近読んだ、読みかけの本 H23.7.13

  • 勝田政治「廃藩置県 明治国家が生まれた日」講談社選書メチエ、2000年7月
  •  十一年前の新聞書評を見て買った本。十年も積ん読状態であった。この本、内容が濃くてとてもすらすら読むわけにはいかず挫折してゐた。

     民主党が主張する地域主権は国家解体、他国の侵略を許す亡国政策だ。しかし地方への権限委譲は課題である。地方を藩主が支配してゐた封建体制から明治政府に権限を移転する過程が気になり読む気が起きた。やはり結構骨が折れた。 つづく

 

2011年7月11日 (月)

最近読んだ、読みかけの本 H23.7.11

  • 福島香織「潜入ルポ 中国の女」文藝春秋、2011年2月
  •  記録のみ。

  • 森永晴彦「放射能を考える―危険とその克服」講談社ブルーバックス、1984年5月
  •  応用物理科卒の知人が福島第一原子力発電所事故を機に読んだと聞いた本。

     25年前のこの時点でヨーロッパで核物質の神経質に過ぎる管理が始ってゐた。核物理の研究に支障を来してゐたことが窺はれる。

     著者は輻射性元素であるアルゴン42を用ゐて一般大衆が輻射線に対する実習を行ひ理解を深めることを提案してゐた。しかしそれは今日まで行はれてゐない。日本人の輻射能に対する理解も浅いまま、核爆弾で攻撃されたことだけが心に残り核物質、輻射能に対する理解を深めてこなかった。

 

2011年6月21日 (火)

最近読んだ、読みかけの本 H23.6.21

  • 工藤美代子「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」産経新聞出版、2009年12月
  •  広く流布してゐる日本人が関東大震災で朝鮮人を虐殺したといふことは誇大宣伝であり、実際に大地震に乗じて破壊活動、暴動を起こした朝鮮人に対する民間自衛団の自衛活動であったことを説いてゐる。

     特に朝鮮人の虐殺数について吉野作造、朝鮮人の亡命政権である上海の韓国仮政府などの数字が出鱈目であることを示す。工藤氏は当時東京周辺にゐた朝鮮人の数を推計した上で、地震と火災による死者数から朝鮮人の被災者数を推計し、所謂「虐殺」とされる人数を割り出してゐる。

     根拠薄弱の数字を無批判に引用する大江健三郎、松本清張、吉村昭、佐野眞一、松尾尊兊、今井誠一、松尾章一などを批判する。

    ・ 震災時東京には9000人(労働者6000人、学生3000人)の朝鮮人がゐた。
    ・ 横浜他東京近県に約3000人がゐた。
    ・ 夏休みで帰郷してゐた学生がこのうち2200人(東京1800、その他400)と推計される。
    以上は多くの関係資料から認められることである。
    ・ 軍と警察が収容した朝鮮人の人数は総計6797人であった。
    ・ また内務省が認めた過剰防衛による死者は233人であった。
    ・ 9800人から以上の人数を引けば2770人。このうち地震による死者、行方不明者が何人ゐるかが争点になる。
     朝鮮人は震災の激しかった下町地区に多くが住んでゐた。日本人より耐震性の劣った家に住んでゐたと考へて、日本人の地域人口に対する死者、行方不明者の割合15%に対して+5%の20%が震災による地震の犠牲者とすれば1900人。殺害対象になったのは残りの800人となる。その800人は暴動を起こして自警団、官憲と戦って死亡した者が殆どと認識される。

     吉野作造、朝鮮亡命政府の数字は震災で死亡した朝鮮人を全く考慮しない数であり信用に値しない。そんな重要なことが何故これまで放置され、日本人の名誉を傷つけることになったのか全く残念なことである。

     暴動の計画については本書を紐解いてもらひたい。朝鮮人暴動の真の標的は皇太子典礼であった。つまり昭和天皇の結婚式が狙はれてゐた。それを重視した内務大臣の後藤新平は朝鮮人宥和策に転換した。これが虐殺があったとする風潮を作り出した。

 

より以前の記事一覧